雨夜のメランコリー 第九章

「謎の声の主」

 

 船からの撤退を決めたイワンたちは、出口へとむかいながら、お互いの身に起こったことを、説明しあいました。

 謎の化け物のこと、溶けた踊りキノコのこと、そして航海日誌に書かれていた、この船に仕掛けられた罠についてのことなど、簡単に確認していきました。

「それじゃ、この迷路のような妙な船内も、鏡のまやかしってわけか?」

「そうだね、その可能性が高いだろう。どうにも、忌々しい鏡が多かったわけさ。」

「しかし、ゴーレムとは厄介だな。そんな奴、おばけの森に上陸でもされたら、それこそ一大事だぜ。」

「そうとも。それだけは、なんとしても防がねばね。」

 アイザックとイワンが話し合っているうちに、やがて、調査団の侵入してきた階段も、うっすらと見えてきました。

「見ろ。もうすぐ出口だ。もちろん、鏡の作ったまやかしでなければだけどさ。」

 イワンたちは、階段を急いでかけ登っていきました。そして、船の上へ出ると、そこで驚くべき光景を目の当たりにしたのでした。

「どういうことだ!? 船が流されてるじゃないか!」

 イワンは驚きの声をあげました。

 海賊船は、森の入り江から遠くはなれ、沖へと流されていたのでした。薄くかかった霧のせいもあって、陸地がどの方角にあるかもわからなくなっていました。

「碇はおろしてあっただろう!? どうしてこうなった!? アイザック、説明しろ!」

「さあな・・・俺にもわからん。ひとつだけ言えることは、子どもたちだけに後をまかせたのは、マズかったってことだけだな。」

「ほぅ、子どもに後をまかせたねぇ・・・さすがは、いつも用心深い火の玉さんだ。君を見張り隊長に任命したのは大正解だったようだね。ご覧! 盛りあがってきたじゃないか!!」

 吸血鬼の王子は、いらだちをあからさまに火の玉にぶつけました。

 夜明け前の空は、刻々と白みがかってきていました。朝日が顔を出すのも時間の問題です。

 日の光に弱いおばけたちにとっては、いまから船を脱出することなど、不可能に近いことになっていました。

 イワンは、右に左にと、海の彼方を見わたしました。

「まぁ、あれだ。おかげで、ゴーレムが森に上陸する心配だけは、する必要がなくなったかな? そうだろ、アイザック? ハハハハ!」

「イワン!?」

 そのとき、甲板の先より、吸血鬼の名を呼ぶ、女の子の声がしました。

「サーシャ!? 無事だったのか!」

 吸血鬼の王子は、魔女っ子サーシャの姿を目にすると、思わず、安堵の声をもらしました。

 そして、サーシャはすぐさま、イワンのもとに走りよっていくと、涙目で自身の状況を訴えました。

「イワン! 大変なの! お姉ちゃんとフェイフェイが鏡の中に飲みこまれて、」

 パチン!

 しかし、イワンはサーシャの言葉をさえぎって、サーシャの頬を平手打ちにしました。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」

 サーシャは、ぶたれた頬に手をあてると、その場にうずくまりました。

 イワンの後ろでは、それを見ていたアイザックが、ヒュウッと口笛の音を低く鳴らしました。

「・・・あの馬鹿ガ。」

と、キョンシーのロンロンも、ぼそりとつぶやきました。

「ワォーン! ひどいんだもん!」

 すると、サーシャのあとから出てきたオオカミ男のホップが、サーシャをかばいに、かけよってきました。

「なんで、ぶったんだもん! サーシャはわるくないんだもん! ヴェネッサに、無理やりつれてこられたんだもん!」

「ふん。そんなことぐらいわかってるさ。どうせ、あのふたりの誘いを断りきれなかったんだろう。意思の弱い子だ。自分ひとりじゃ、なにひとつ決められやしない。」

「ごめんなさい・・・ごめんなさい。」

 イワンは、なおも謝りつづけるサーシャを見おろすと、つづけて、サーシャに冷たく質問をしました。

「それで、船が流されてるのも、君たちの仕業なのかい?」

「え!? ちがう! それは、ちがうわ! わたしたちは、ただ・・・毒入りのドーナッツを配っただけ・・・」

 サーシャはそう言いながら、うなだれて、涙を流しました。

「船の意思だ。船がみずから動きだしたんじゃよ・・・」

 そのとき、突然に、謎の声がイワンたちの会話に割って入ってきました。

「あの声だ! ボクたちを鏡から助けてくれたのも、この声だったんだもん! 船の出口まで案内もしてくれたんだよ!」

と、オオカミ男のホップはしっぽを、ぴんと立てました。

 ハサミ男のゾル・ゾッカも、すぐさま、おばけ探知機を確認しました。

「おばけの反応もあるズラ!」

 吸血鬼の王子は、ハサミ男にしすがにうなずくと、声のした方にむかって、おだやかに話しかけました。

「いらっしゃるんでしょう・・・ピッツァ船長? ご安心ください。我々は危険な者ではありません。僕は、おばけの森の管理者、吸血鬼の王子イワンです。」

 しかし、イワンのあいさつに、声の主からは、いっこうに返事がくるようすもありませんでした。

「ハハハ。この期に及んで、まだ、オレっちたちおばけのことが怖いんだ。」

「情けない船長だズラ。」

 びっくりゴーストとハサミ男が、小声で軽口をたたきました。

 すると、声の主にも、それが聞こえたものか、とうとう、むこうから言葉が返ってきました。

「・・・ふん。そう、臆病者扱いされては、かなわんな。敵かどうかもわからぬ相手に、そうそう、姿を見せるものでもなかろう?」

 そう言って姿をあらわしたのは、立派な身なりをした、大海賊のガイコツでした。

「いかにも、我輩がピッツァ船長だ。」

「これは、お初にお目にかかります。お会いできて光栄です。」

 吸血鬼の王子は、歴史的大海賊に対して、うやうやしく頭をさげました。

「しかし、イワンとやら。レディに対して手をふるうとは、感心できんな。」

「なに、しつけですよ。重大な過ちを犯したものですからね。それより、どうやら、我々の仲間を救ってくださったようですね。なんとお礼をしてよいものやら。」

「礼などよい。それより、はじめに警告ならしたはずだ。さっさと船から立ち去っていれば、こんなことにもならなかったものを。」

「そうですね。しかし、それならそうと、はじめから姿をお見せになってくださればよかったのですがね。」

「ふん。言ったであろう? わけのわからぬ連中相手に、姿など見せてやれん。」

 ピッツァ船長はそう言って、ゴホンと咳払いをしました。そして、イワンの手にもつ、航海日誌に目を止めました。

「どうやら、航海日誌を手にしたようだな。どうじゃ? この船のことも、少しはわかってきただろうて。」

「はい。おばけにとって、この船が極めて危険な船だ、ということがですね。」

 イワンはそう言ながら、航海日誌を、元々の持ち主であるピッツァ船長の手に返しました。

「ピッツァ船長。さきほど、船がみずからの意思で動きはじめた、とおっしゃられましたが、それは、どういう意味です?」

「文字どおり、そのままの意味だ。いまや、この船は、おばけを喰らう幽霊船じゃ。とらえた獲物に満足して船旅に出たのじゃよ。」

 ピッツァ船長は、厳かな口調で、イワンたちに語りはじめました。

「よいか。ゴーレムも、鏡のまやかしも、この船に仕掛けられた罠はすべて、つかまえたおばけを原動力として動いているのだ。海を漂っては、おばけを食べ、おばけを食べては、海を漂う。そんなことを、もう何百年としてきたのじゃ。我輩はこの船と長いこと戦ってきた。だが、今では、部下もすべてやられ、ひとりきり。せめて、船の主として、この船が新たな獲物を捕獲できぬよう、ひとり努めてきたというわけじゃ。その甲斐あってか、ここ数十年は、おばけを食べられることもほとんどなく、幽霊船は、眠ったように、しずかなもんだった。」

 船長の話に、聞いていたおばけたちも、どこか、胸の内が熱くなってきていました。

「なんか、えらい船長さんだったんだなぁ。」

「さっきはバカにしてわるかったズラ。」

 びっくりゴーストとハサミ男も感動して、声をふるわせまていました。

「・・・だが、どこぞのバカどもが、ずかずかと船に乗ってきたもんで、すっかり幽霊船も目を覚ましてしまったわい。どうするんじゃ? あれだけのエサを与えて! これ以上力をつけられたら、我輩の手にも負えんぞ。」

 そのとき、ギシギシと例のゴーレムの近づいてくる音が聞こえました。

「奴じゃ! これだけの人数だ。さすがに嗅ぎつけてきたか。」

と、ピッツァ船長が声をあげました。

「グォォォーン!」

 すると、次の瞬間には、ゴーレムの恐ろしい姿が、甲板の上に浮かびあがりました。体からは、いくつもの手がのび、おばけたちをとらえようと、気味悪くうごめいています。

「ワォーン!? なに!? あれ !? なんなんだもん!?」

「これがゴーレム・・・」

 イワンは、とっさにサーシャの手をとると、サーシャを守るように身構えました。

 そのとき折わるく、地平線の彼方より、朝日の光が、霧をつきぬけ、おばけたちを照らしだしました。夜が明けたのです。

「くぅ、光が。」

 日の光に弱いおばけたちは、たまらず、手で目をおおいました。

 おばけたちのもとへ、ゴーレムが、何本もの手を、ガシャガシャと鳴らしながら迫ってきます。

 すかさず、ひとつ目の侍が、ゴーレムの前に進みでました。

「イワンどの! ここは拙者にまかせられよ! この程度の朝日であれば、拙者、なんとか堪えられるでござる。奴めを船上に止めておく役目、このカゲザエモンがつかまつった。みなは、早く船の中へ!」

 カゲザエモンはそう言うと、ゴーレムにむかって刀をふりかざし、ゴーレムの気を引きつけました。

 すると、びっくりゴーストのフィリップも、おばけたちの集団からはなれ、ヒョイっと、ゴーレムのもとに飛びだしていきました。

「おっと、お侍にばっかし、いいカッコさせられるかよ。オレっちも助太刀するぜ!」

「かたじけない、フィリップどの。」

「さぁ、化け物野郎! つかまえられるもんなら、つかまえてみな!」

 びっくりフィリップは、ゴーレムの手をたくみによけて、宙から宙へと、ゴーレムを翻弄しました。

「ヘヘヘ! どんなもんだい! こちとら、身動きとれない船の中で、ずっとイライラしてたんだ。空中なら、こっちのもんだぜぇ!」

「そ奴の体に、決して触れてはならんぞ! とにかく逃げまわれ!」

と、ピッツァ船長もふたりに助言をしました。

「あいわかったでござる。ささ! みなは、早く船の中へ!」

「すまない、ふたりとも。ここはたのんだぞ。」

 吸血鬼イワンは、ふたりにゴーレムの相手をたくすと、みなを導いて、船の入口へと急ぎむかっていきました。