雨夜のメランコリー 第一章

「誰も乗らぬ船」

 ひどく霧の立ちこめる真夜中のこと。おばけの森の古びた城の一室より、ピアノの音色に彩られながら、吸血鬼の王子の歌声が、妖しく、けだるく響いていました。

 

♪ 暗き闇の中で 蠢く魔物よ 汝の名はいかに

 汝の心は何処より来たりて 何処へ向かう?

 今宵は 心も踊る 霧の晩 

 もしも時間が許すのであれば 我と共に語ろうぞ  ♪

 

 吸血鬼の王子イワンは、ピアノを奏でながら、時が経つのも気にすることなく、詞を作ることに興じていました。

 その横では、重い鎧に身を包んだ火の玉のアイザックが、ゆるく腕を組んで、その歌をなんともなしに聞いています。

 ときおり、ふたりのもとには、森の見回りから帰ってきた、王子の家来のコウモリたちが、その報告のために飛んできました。

「森の東南東、異常ありませぬ!」

「ドクロ沼近辺、異常ありませぬ!」

 イワンは、コウモリたちが報告にくるたびに、ピアノを弾く手を止めました。そして、「ごくろう」とだけ言うと、また、ピアノを奏ではじめ、曲の作詞にもどるのでした。

 イワンは、何度も同じメロディに、あれこれと詞を当てて、歌い続けていました。しかし、なかなか納得のいく歌詞がみつからないようでした。

「ふうむ。どうにも、このあとに続く詞が思い浮かばないな。メロディの方はわるくはないと思うんだけどね。なにかいい知恵はないものかな? アイザックくん?」

 吸血鬼から話しかけられた火の玉は、それにたいして、ぶっきらぼうにこたえました。

「さあな。俺にはゲイジュツとやらは、さっぱりわからん。」

「なあに。芸術だなんて、そんな堅苦しいものじゃないさ。君だって歌は好きだろう? よく口笛を吹いてるじゃないか?」

 すると、火の玉のアイザックは、少しきまりわるそうに間をおいてから、イワンにこう言い返しました。

「俺が口笛だって? フン、あんなものは、ただ、口からもれた息が勝手に鳴ってるだけさ。」

 イワンは、その返事に目を見開くと、にんまりと笑みを浮かべました。

「クククク。芸術がわからないというわりには、ずいぶんと洒落の利いたことを言うじゃないか。」

「そうかねぇ。」

 アイザックは、相変わらずぶっきらぼうにこたえましたが、その鉄仮面の下の炎の目は、ほのかに笑っているようでした。

 そのとき、一匹の顔に大きな傷跡のあるコウモリが、ふたりの前に、猛然と姿をあらわしました。コウモリの、いつもとはちがう、ただならぬようすに、ふたりの間にも緊張が走りました。

「どうした? なにがあった?」

「ハッ、イワン様。森の西南の彼方、~の入江に、霧の中より、巨大な船があらわれました。」

「巨大な船だと? それで、乗ってきたのは、どのような者たちだ?」

「それが、イワン様・・・誰もおらぬのです。永い年月、漂ってきたと思われる、かの古びた船には、生きている者はおろか、漂流船につきものの、おばけの気配すら、まるで感じられないのです・・・実は、船内に偵察に入ったコウモリのうち、数匹が、いまだもどってまいりませぬ。」

「ほう・・・」

 イワンは、コウモリの報告を聞くと、しずかに目を閉じました。

「ほかに船の特徴は?」

「とかく、変わった船でございましたが、荒れ果てた船内は、どうしたわけか、方向を保つのもむずかしく、まるで巨大な迷路のようにも感じられました。もどらぬコウモリたちも、迷ってしまったのやもしれませぬ。それから、そうそう。いたるところに、トマトの形をあしらった、ドクロの紋章のようなものが見られました。元は、海賊の船だったものでありましょうか?」

「なに? トマトのドクロだって!?」

 イワンは、それを聞くと、すぐに紙とペンをとって記号を記し、コウモリに見せました。

「それは、こんな形をしていたか?」

「おお! たしかに、このような形をしていたかと思われます。」

「そうか。それは素晴らしい。ククククク・・・」

 イワンは不気味に笑い声をあげると、傍らの、鎧に身を包んだ火の玉に話しかけました。

「アイザック。君は、黄金のトマトを求め、七つの海を渡った大海賊のことを知ってるかい?」

「ああ。話には聞いたことがあるな。たしか、名は、ピッツァ船長とかいったか。」

「そうだ。トマト・ピッツァ船長だ。トマトのドクロ紋章なんて、ピッツァ海賊団のものとしか考えられない。」

 吸血鬼の王子は、興奮気味に話を続けました。

「ピッツァ海賊団といえば、永年の航海の末、ついに黄金のトマトを探しだし、巨万の富を得たことで有名だ。しかし、その巨万の富をかけて新しく作った、巨船ポモドーロ号に乗って航海に出たのが最後、海の彼方で消息を絶ち、行方知れずとなったそうだ。その漂流船は、ポモドーロ号と見て、まず、まちがいないんじゃないかな?」

「なるほどな。」

「ところで、だ。そんな大海賊の勇敢なピッツァ船長にも、苦手なものがひとつだけあったそうだ。なにかわかるかい?」

「さあなぁ。それこそ、蛇だとか蜘蛛だとかいった虫の類いか?」

 すると、イワンはもったいぶったようすで、トマトジュースをグラスに注ぎ、それにひと口つけてから、こうこたえました。

「・・・おばけさ。おばけだよ。クックックック。ピッツァ船長は、おばけだけに関しちゃ、大の臆病者だったのさ。そんな船長の乗っていた船だ。おばけが近づいてこれないような、特別な仕掛けがあってもおかしくはないさ。」

 イワンの言葉に、火の玉のアイザックも、ヒュウッと口笛を高く鳴らしました。

「そいつはおもしろそうだ。」

 吸血鬼の王子は、グラスをピアノの上に置くと、高らかに手を叩いて、家来のコウモリたちを呼びつけました。

 城内にいたコウモリたちが、わんさかと集まってきます。

「よいか、者ども! ~の入江を封鎖するんだ! 入江にやってきた漂流船の碇をおろせ! 船には森のおばけを誰も近づけさせるな! 明日の夕刻より、精鋭のおばけを引きつれて、僕自身みずからが、謎の漂流船の調査に出かけようぞ!」

 王子の宣言に、家来のコウモリたちも、いっせいに歓声をあげました。

「・・・ちょうど作詞にもつまづいていたところだ。これは、いい詞も浮かびそうかな? ハッハッハッハ!」

 イワンはそう言って、グラスのトマトジュースを、一気に飲み干しました。