第一章「ランプの灯りと影遊び」
おばけの森は、おばけがわんさか、わいわいくらす、ちょっぴりこわくて、楽しいところ。
そんなおばけの森の片すみに、ひっそりとたたずむ、小さな家がありました。そこには、魔女っ子サーシャと黒猫ミーシャのふたりが、住んでいます。魔女っ子サーシャは、立派な魔女になるために、そこで毎日、魔法の勉強をしていました。
影祭りの近づく、ある晩のこと。魔女っ子サーシャは、自分の家の、暗い部屋の中で、机の上に置かれたランプの灯りをたよりに、本を読みあげていました。
サーシャのかたわらでは、いつものように、黒猫ミーシャがうずくまって、その声に、耳をかたむけています。
「影は誰のものであるか? その影を所有すべき持ち主などというものが、はたして存在するであろうか? 否。影は影にして光より生み出されし、一個の魂である。その宿主の意識、朦朧として燦然とするとき、影はその束縛より放たれて、自由闊達なる自我を得るであろう・・・」
吸血鬼のお城から、少し前に借りてきた、影についての本には、むずかしいしいことばかり書かれていました。
サーシャは、眠い目をこすると、しずかに、ため息をつきました。
「ふぅぅ・・・」
おばけの森では、年に一度の影祭りの期間にさしかかっていました。それは、いつも自分たちにつき従って、時をともにしている影たちに、感謝をするためのお祭りでした。
影祭りの間は、森中が、色とりどりのランプの灯りで飾られて、妖しい影が、そこらかしこに浮かびあがります。
そして、おばけたちは、いつも以上に歌い騒ぎ、はしゃいでは、影たちを楽しませようとするのでした。
空には、いま、少し太めの半月が、ぽっかりと浮かんでいました。この月の光に、だんだんと影が増していき、ついには、月のほとんどが影におおわれ、か細い逆さ三日月となった夜、影祭りは、最も大きな盛りあがりを見せるのです。逆さ三日月の夜まで、あと数日ほどでした。
「ううん・・・この本、わたしには、まだ、ちょっとむずかしいかな。お祭りが終わるまでに、読み終われそうもないし・・・」
魔女っ子サーシャは、影の本から、目をはなしました。
サーシャは、せっかく、影のお祭りが近づいているのだからと、影のことについて、いろいろ勉強をしたくなっていました。
そして、吸血鬼のお城の図書室に、影の本を探しにいったところ、吸血鬼の王子イワンから、この影の本をすすめられたのでした。この本が、影のことについて、一番わかりやすくまとめてあるというのです。
とはいえ、サーシャには、ずいぶんとむずかしく感じられました。もうちょっと、わかりやすい本があってもいいのにと、思いさえしていたところでした。
「こんなことなら、イワンに、影のことを教えてもらったらよかったかしら。そしたら、わかりやすく教えてくれたかな?」
サーシャは、吸血鬼の王子から、勉強を教わるところを想像しました。すると、なんだか急にはずかしくなってきて、胸がざわざわとしてきました。
「にゃぁ? にゃ!」
そのとき、黒猫ミーシャが、本の続きを読むのをうながすように、鳴き声をあげました。
サーシャは、ミーシャに目をやりました。
「ミーシャ、この本、気に入ったの? どうせ、意味なんて、ほとんどわかってないくせに。」
「にゃあ! にゃ!」
「はいはい。読めばいいんでしょ。なるほど、あなたは賢い猫です。」
魔女っ子サーシャは、影の本の続きを読みあげはじめました。
黒猫ミーシャも、また、うずくまって、サーシャの声に耳をかたむけました。
けれどサーシャは、本のむずかしい言葉遣いに、すぐに頭が、ぼーっとしてきました。
それにサーシャは、影祭りのための準備などで、とても疲れてもいました。本の中身のことなど、頭の中に、まるで入ってきません。本を読んでいても、眠くなるばかりです。
とうとうおしまいには、サーシャは、自分が何の勉強をしているのかもわからなくなってきて、ただ、ただ、小難しい本の言葉を、うつらうつらと、読みあげるだけになっていました。そのようすは、まるで、眠りながら、魔法の言葉を唱えるかのようでした。
「・・・魔の道を志す者よ。彼らをこそ・・・自由の身となった影をこそ、使役するのだ。その時にこそ・・・真の意味での・・・影の支配者となるであろう・・・」
すると、そんな折です。どうしたものか、ランプの光によって映しだされた部屋の中のさまざまな影たちが、のっそりと動きだして、サーシャのまわりに集まってきました。そして影たちは、サーシャをとり囲むと、サーシャを中心として、くるくる、くるくると、踊りはじめたのです。
黒猫のミーシャも、影たちの踊りを、ひっきりなしに目で追いまわします。
サーシャは、そのようすを、夢見心地で、ぼーっと、ながめていました。
すると、黒猫ミーシャは何を思ったものか、突然、二本足で立ちあがると、影たちの踊りの輪の中に入っていきました。
黒猫の真っ黒な体と、真っ黒な影たちの踊りが、妖しく溶けこんでいくように重なっていきます。
踊る、踊る、影たちの宴。踊る、踊る、黒猫のミーシャ。
サーシャは、びっくりして目を覚ましました。
「おやめ!」
サーシャのきっぱりとした一声に、 ミーシャ も影たちも驚いて、ぱったりと動きを止めました。
サーシャは、ランプの灯りを急いで吹き消すと、ミーシャを、そっと抱きあげました。
「あなた、もう少しで、影たちの仲間になってしまうところだったのよ。」
そうしてサーシャは、真っ暗になった部屋の中を、きょろきょろと見まわしました。
「影が勝手に動くなんて、どうしたのかしら? 影のお祭りで、この子たちも、浮かれてるのかな?」
サーシャはそう言うと、影の本を閉じて、そのまま、眠ることにしました。
どうやら、魔女が勉強をしながらの居眠りは、それは、それは、危ないことのようでした。
魔女っ子サーシャは、そのことを知ってか、知らずか・・・
第二章「お菓子の家」
次の日の夕方。魔女っ子サーシャは、昼の眠りから目覚めると、家の外に飾った色とりどりのランプに、灯りをともしていきました。そして、さっそく、影祭りのための、お菓子の準備にとりかかりました。
「さてと、キャンディは昨日、たっくさん作ったし、今日はクッキーを作ろうかな? そうねぇ・・・イチゴのクッキーと、ココアのクッキー!」
サーシャは、お料理をするのが好きでした。中でもお菓子作りは、大の得意です。
森のおばけのたちの間でも、サーシャの料理やお菓子は、大の人気で、おばけたちは、サーシャがなにか作ってくれるのを、いつも楽しみにしていました。
とりわけ、影祭りのときは大変です。サーシャは、いつにも増して、たっくさんの料理やお菓子を作らなくてはなりません。おばけたちの分だけでなく、その影たちの分まで用意する必要があったからです。
影祭りのときには、おばけたちは、自分たちが飲み食いするだけでなく、影たちにも食べ物をふるまうため、そこらじゅうに食べ物をぶちまけます。そのようすは、大変お行儀がわるいものでした。しかし同時に、それは、最高に楽しいものにちがいありませんでした。
「さぁ、どんどん作らなきゃ。逆さ三日月の夜まで、もうすぐだもの。」
魔女っ子サーシャは、お菓子作りに励みました。そして、お菓子がおいしくなるように、メケルヤ、メケルヤ、ルーペンドット、チーパッパと、魔法の言葉を唱えては、お菓子に魔法をかけていきました。
「にゃあ~。にゃあ!」
すると、サーシャがいそがしくしているその横から、しきりに、黒猫のミーシャが、手を出してきては、サーシャの手をわずらわせてきました。
「もう、ミーシャ! うろちょろしないでちょうだい! こっちは猫の手だって借りたいほど、いそがしいっていうのに。」
「にゃあ・・・」
もしかしたら、ミーシャとしては、サーシャのことを手伝っている気になっていたのかもしれません。けれども、それは、サーシャにとっては、お邪魔以外の何物でもありませんでした。
「にゃあ、にゃ!?」
そして、ついには、テーブルの上でうろちょろしていた黒猫ミーシャが、昨日作っておいた、キャンディが詰まった大ビンを、ドタンと、床に落としてしまいました。床の上に、大量のキャンディが散らばっていきます。
「もーう、ミーシャ! なんてことするのよ!」
「にゃ、にゃあ・・・」
サーシャは、カンカンにおこりました。サーシャは、黒猫ミーシャを棚の上につまみあげると、キッと、にらみつけて、こう言いました。
「あなたは、しばらく、そこでお行儀よくしてなさい! さもないと、影祭りにだって、つれていってあげないんだからね!」
「にゃぁぁ・・・」
それから、サーシャは、床の上に散らばったキャンディを急いで集めて、大ビンの中に詰め直しました。
「ふぅぅ。水で軽く洗ったほうがいいかしら? でも、まぁ、どうせ、また、みんな地面にまかれちゃうんだから、別にいっか。」
そんなふうにして、サーシャがお菓子作りにもどってから、しばらくしたあとのこと。トントントンと、サーシャの家の扉を、軽くたたく音がしました。
「はーい」と、サーシャが、扉を開けると、そこにやってきたのは、お料理仲間の、キョンシー娘フェイフェイでした。背中には大荷物を背負っています。
「アイヤ! ごきげんいかがアル! たのまれてた小麦粉とお砂糖、もってきたアルヨ。」
「わぁ。ありがとう。ちょうど使いきっちゃったところだったの。助かるわ。」
フェイフェイは、あいさつもそこそこに、サーシャの家の中に、ササっと入ると、背中の荷物をおろして、品物を出していきました。
そして、あれやこれやとおしゃべりしながら、サーシャの家の中を見まわすと、大ビンのキャンディに目をとめました。
「アイヤ! 素敵なキャンディアルネ! ランプの灯りにぴったりアル! ひとつ、ちょうだいアル。」
「あ、でも、それは・・・」
サーシャが止めようとする間もなく、キョンシー娘は、キャンディを一粒、口の中に、パクっとほおばっていました。
「うーん! あまーいアル! やっぱりサーシャのお菓子は最高アルネ!」
それから、にぎやかなキョンシー娘は、なおも、サーシャの家の中をきょろきょろと見まわしては、何かを探しているようなふうでした。
そして、フェイフェイは、とうとう、我慢できなくなったように、サーシャに、そっと、こう聞きました。
「ね、サーシャ? 影祭りで着るドレスは、もうできあがったアルカ? アタシは、今年は、フリフリのお姫様みたいにしたアルヨ。」
「あ、うん。それなら、上に。」
サーシャはそう言って、二階の屋根裏部屋へとあがっていきました。そして、その手に、透きとおった、水の羽衣のような手作りドレスを抱えて、フェイフェイの前におりてきました。
「アイヤァ! 素敵アル! 素敵アルヨ! 妖精の女王様みたいアルヨ!」
フェイフェイが、あんまりほめちぎるので、サーシャは恥ずかしくなって、照れわらいしました。
「半透明になるように、レースの生地も使えば、影もきれいに着飾れるかな、と思って。」
「ウンウン! 素敵な発想アルヨ! ネェ、サーシャ? それ、アタシも、ちょっとマネしていいアルカ?」
「え? もちろんよ。」
こうして、サーシャとフェイフェイは、女の子同士の楽しい話にひと花咲かせたあと、シチュー作りの打ち合わせをしました。
逆さ三日月の夜には、吸血鬼のお城のふもとのゴーストタウンで、催し物があって、森中のおばけたちが集まります。
サーシャとフェイフェイは、そこに屋台を出店して、いっしょに、シチューを作る約束をしていたのでした。
「屋台のほうは、明日、アタシの兄ニが用意するアル。材料のほうも、アタシが準備しておくから、まかせてアル。ウチの畑の野菜も、たっぷりとれてるアルヨ! サーシャは、このまま、お菓子作りをどんどん進めるアル。」
サーシャとフェイフェイの二人は、目を合わせて、にっこりと、ほほ笑み合いました。楽しい、楽しい、影祭りの夜が近づいているのです。
そうして、打ち合わせをすませたキョンシー娘は、また、そそくさと帰り支度を済ませると、扉の前まで進んでいきました。すると、そこで、急に思い出したように、声をあげました。
「あ! いっけない。忘れてたアル。ヴェネッサから、サーシャに、たのまれ事、してたアル。」
「お姉ちゃんから?」
「そうアル。幻惑草の花びらが足りなくなったからって、分けてほしいって言ってたアル。アタシが、もっていってあげるアルヨ。」
フェイフェイの言葉に、魔女っ子サーシャは、おもわず、自分の姉の、不気味に笑った顔を思い浮かべました。
サーシャのお姉ちゃんの、緑頭巾のヴェネッサは、ドクロ沼の魔女とも呼ばれ、森のおばけたちから、恐れられ、かつ、尊敬されている、ちょっと危険な魔女でした。
幻惑草の花びらのような、危い材料が足りないだなんて、お姉ちゃんは、今年の影祭りには、また、いったいどんな物を、みんなにふるまうつもりなのかしら。そう思うと、サーシャは、おもわず、頭を横にふっていました。
「それなら、フェイフェイ、わたしが自分でお姉ちゃんのところにもっていくわ。お姉ちゃんのようすも、確かめておきたいしね。」
「そうアルカ。それじゃ、またアルネ。ごきげんようアル!」
こうして、フェイフェイの帰りを見送ったあと、魔女っ子サーシャは、さっそく、幻惑草の花びらを探しはじめました。
「どこにしまったっけかなぁ。あんなもの、わたしは、めったに使わないから。この際、お姉ちゃんに全部あげちゃったっていいんだけど。」
そうしていたとき、サーシャは、棚の上で、ずっと、お行儀よくしていた黒猫のミーシャと、ふと、目が合いました。
「あら、ミーシャ。起きてたの? ずっと、しずかだったから、寝ちゃったのかと思ってた。それだけお行儀よくできるなら、そうね。もう、おりてきてもいいわよ。」
「にゃ。」
すると、さっと、棚の上からおりてきた黒猫ミーシャは、ひとつの引き出しの前で、カリカリと、爪を立てました。
「にゃあ!」
サーシャは、ミーシャのそんなようすを見てとって、その引き出しを開けると、奥のほうまで、そっと、のぞきこんでみました。
「・・・あったわ、幻惑草の花びら。ありがとう、ミーシャ。さっきのことは、これでトントンにしてあげるわね。」
サーシャがそう言うと、黒猫のミーシャは、どうだとばかりに、胸を張りました。
「でも、いいこと、ミーシャ。まだまだ、そのまま、お行儀よくしてなさいよ。影祭りの夜までは、まだまだ早いんですからね!」
第三章「魔女の家」
魔女っ子サーシャは、影祭りのためのクッキー作りを、ひと通りすませたあと、黒猫ミーシャを肩の上に乗せて、外へ出ました。お姉ちゃんの家に、幻惑草の花びらをとどけるためです。
サーシャは、魔法のホウキにまたがると、「メケルヤ!」と魔法を唱え、空へと飛びたちました。
「うわぁ。きれいねぇ。」
サーシャが、空からおばけの森を見おろすと、すでに、森中がランプやらロウソクやらの灯りで飾られていて、森は、美しい色彩をおびていました。サーシャもミーシャも、うっとりと、森のようすに見とれました。
そうして、しばらく空を進んでいくと、どこからともなく、にぎやかな楽器の音色に乗って、おばけたちの歌う声も聞こえてきました。パレードの楽隊が、行進をしていたのです。
♪ いつ如何なる 時だろうと
離れられぬ 我が影よ
答えておくれよ
お前の 望みを
逆さの三日月に
照らされて 咽ぶ夜
逆さになって
我とお前は 踊るのさ ♪
サーシャは、楽隊のところまで、ふわふわと、飛んでいきました。
楽隊のおばけたちも、魔女っ子サーシャの姿を見つけると、手にもったランタンやチョウチンをふって、サーシャに、元気よくあいさつをしました。
「ごきげんよう、みんな。」
「イヤッホゥ! セニョリータ! サーシャさんも、パレードにくわわりマッシュカ?」
そう言ったのは、パレードの楽隊長、踊りキノコのマシュ・マ・タンゴでした。サーシャに声をかける間も、自慢のアコーディオンを弾く手を休めることなく、軽快な音楽を奏でています。
「お誘い、ありがとう。でも、わたし、まだまだ、お料理の準備があるからぁ。」
サーシャが、飛んだホウキの上から、そう大きな声で返事をすると、楽隊のおばけたちから、ワッと、歓声があがりました。
「聞いたか、みんな! もうすぐ、サーシャのお菓子が、たんまりと食べれるぞ! イェーイ!」
びっくりゴーストのフィリップが、首の鈴を、チリンチリーンと鳴らしながら、そう言うと、引きつれられた、いたずらプチゴーストたちも、「イェーイ!」と、かけ声を合わせました。
「いやはや、サーシャさんのお菓子は最高ですからね。今年は、なんでも、フェイフェイさんと一緒に、特大シチューまで作ってくれるそうですぞぉ!」
ミイラ男のトトメスが、そう言うと、他のおばけたちも、シチュー、シチューと、さらに大きな声で騒ぎたてました。
すると、頭に大きな穴の空いた、おとぼけガイコツのオットトが、とぼとぼと、前に進み出てきて、
「え? シチュー、できたの? どこ? どこ? ボクも食べたいよ。」
と、キョロキョロ、あたりを見まわしました。
「まだだよ、まだ! まったく、なに聞いてんだか、このおとぼけは! ギャハハ!」
と、びっくりゴーストが、おとぼけガイコツをからかいはじめます。
そして、そんな騒ぎの中、くいしん坊のオオカミ男ホップが、サーシャの飛ぶ、すぐ真下まで走ってきて、サーシャに声をかけてきました。
「サーシャ、お料理がんばってね! ほんとは、ボクもお手伝いしてあげたいんだけど・・・ボク、つまみ食いばっかりしちゃうから。」
ホップの言葉を聞いて、サーシャは、にっこりと、ほほ笑み返しました。
すると、ホップは、サーシャの肩の上に乗っていた黒猫ミーシャを見て、少し、不思議そうな顔をしました。
「あれ? ミーシャも一緒だったの?」
「うん、そうよ。ずっと一緒だったよ。」
「それじゃ、あの猫、どこの猫だったんだろう? さっきね、真っ黒な猫がね、ボクらのパレードの中に入ってきて、ランタンにぶらさがったり、楽器に飛びついてきたり、いろいろイタズラしていったんだもん。てっきり、ミーシャが、お祭り気分で騒いでたんだと思ったけど。そうだよね、ミーシャはそんなことしないもんね。ミーシャは、サーシャとおんなじで、おりこうさんな猫だもんね。」
魔女っ子サーシャは、ホップの話を聞いて、ふと、昨晩の影たちの踊りを思い出しました。そして、なぜだか急に、不安な気持ちになってきたのでした。
「サーシャ! ボクたちも、パレード、がんばるんだもん! またね!」
「あ、うん。よろしくね。」
そして、サーシャは、みんなに別れをつげると、また、空の上へと、もどっていきました。
こうして、魔女っ子サーシャと黒猫ミーシャは、パレードのおばけたちと別れたあと、サーシャのお姉ちゃんの住む、ドクロ沼までやってきました。
いつもなら、不気味で妖しい雰囲気に包まれているドクロ沼も、いまは、ロウソクやランプの灯りで飾られていて、どこか、幻想的な雰囲気をしていました。
「ミーシャ、着いたよ。」
「にゃあ。」
魔女っ子サーシャは、ドクロ沼の真ん中にある、お姉ちゃんのヴェネッサの家まで、まっすぐにおりていきました。そして、魔法のホウキからおりると、家の扉を軽くたたいて、「ごきげんよう」と、あいさつをしました。
すると、その扉はひとりでに、ギィーッと開いて、中から、お姉ちゃんの声がしてきました。
「あら、いらっしゃい、私のかわいいサーシャ。早く中へ、お入りなさい。」
そうして、サーシャが一歩、家の中に足をふみいれると、ムワッと、果物の熟しすぎたような、あまったるい強烈な匂いが、サーシャの鼻にまとわりついてきました。
そして、その強烈な匂いの中心では、ドクロ沼の魔女ヴェネッサが、メケルヤ、メケルヤと魔法の言葉を唱えながら、鍋の中を、大げさに、ドロドロと、かきまぜていたのでした。
「それで、サーシャ。例の物はもってきてくれたかしら?」
「うん。」
サーシャは、ヴェネッサに、さっそくうながされて、たのまれていた幻惑草の花びらを、ヴェネッサに手わたしました。
すると、ドクロ沼の魔女は、たいそう機嫌がよくなって、サーシャに、猫なで声で、お礼を言いました。
「あら、ありがとう。あなたのところに残りがあって、本当に助かったわ。やっぱり、もつべき者は、魔女の妹ね。」
ヴェネッサは、鍋の火を消すと、すぐさま、その受けとった、幻惑草の乾燥した花びらに、酸をくわえて、すり鉢でつぶしはじめていきました。
「サーシャ。お礼に、うちにあるもの、なんでも、もっていったらいいわ。カエルの目玉もたくさんあるし、トカゲのしっぽも、たくさんあるわよ。影祭りで作るシチューにいれたら、きっと、みんなもよろこぶはずよ。」
「ええ? あぁ・・・うん・・・」
サーシャは、カエルの目玉やトカゲのしっぽなど、少しも欲しくありませんでした。そういうものは、サーシャの好みではありません。もちろん、シチューの具にだってしたくありません。そんなわけでしたから、ヴェネッサの申し出に、どうしたものかと、サーシャは、あいまいに返事をして、すぐに話題をそらしました。
「ねぇ、お姉ちゃん? ところで、その鍋の中で、なにを作ってるの?」
「あら? 見ればわかるでしょ。」
「わからないよ。」
「フフフ。影祭りを盛り上げるための、魔女の秘薬よ。これを飲めば、体もゾクゾクしてきて、楽しくなれるのよ。」
ヴェネッサはそう言って、スプーンで鍋の中身をひとすくいして、サーシャにさしだしました。
しかし、サーシャは、それを受けとりはせず、顔を横にふりました。
「そんなこと言って、また、どうせ、変な毒薬なんでしょ。」
「変なとはなによ。これは、素敵な毒薬よ。いいこと。影祭りは、みんな、普段、抑えこんできた自分をさらけだして、奔放になるためのお祭りなのよ。魔女の秘薬はね、そんなみんなの気持ちを、後押ししてあげるものなの。」
ヴェネッサはそう言って、魔女の秘薬をすくったスプーンを、サーシャの口にあてがいました。
けれど、サーシャは、かたくなに口を閉じて、それを飲もうとはしません。
「もう。強情な子ね。あなたみたいに、いつもいつも、お行儀よくしようなんてしてる子ほど、始末がわるいものよ。影祭りのときくらい、ちょっとは、ハメを外したらどうなのよ?」
そしてヴェネッサは、サーシャの口元から、スプーンをはなすと、こんどは、黒猫のミーシャのほうに、スプーンをさしだしました。
「ほら、ミーシャ。あなたなら、私の秘薬の良さがわかるでしょ?」
「にゃあ。」
黒猫ミーシャは、さしだされたスプーンを、ペロペロとなめました。
ドクロ沼の魔女は、そのようすをながめながら、満足そうに、黒猫の体をなでてあげました。
すると、ヴェネッサは、ミーシャのようすが、いつもとちがうことに気がついて、首をかしげました。
「あら? 変ね。この子、影がなくなってるわ。どうしたのかしら?」
「ええ!?」
その言葉に、魔女っ子サーシャはおどろいて、ミーシャの姿を、まじまじと見つめました。
見れば、たしかに、黒猫ミーシャには、その、当然いつもあるはずの影が、ついていません。
それと同時に、サーシャの頭の中に、昨晩の出き事が思い起こされてきました。
「・・・実はね、お姉ちゃん・・・」
サーシャは、昨晩のことをヴェネッサに話しました。影の勉強を、うとうとしながらしていたら、家の中の影たちが踊りだして、黒猫のミーシャも、その踊りの中にくわわったことをです。
すると、ドクロ沼の魔女は、だんだんと、険しい顔つきになって、サーシャを叱るように声をあげました。
「はぁあ、あきれた。魔女が勉強中に居眠りするなんてね。そんなことしたら、魔法の力が勝手にはたらいて、面倒なことになるものよ。あなただって、それくらいのことわかってるはずでしょ。」
「あ、うん。ごめんなさい。」
「あやまるんなら、私じゃなくて、ミーシャにじゃなくて?」
「あ、うん。ごめんなさい。」
どうやら、サーシャの居眠りのせいで、魔法の力が勝手にはたらいて、黒猫ミーシャの影が、どこかにいってしまったようなのでした。
「ねぇ、お姉ちゃん。わたし、どうしたらいいかな?」
「知らないわよ。あいにく、私も、影のことまでは、くわしくないのよ。自分でなんとかすることね。」
当の、影のなくなった黒猫ミーシャといえば、魔女の秘薬を飲んだせいか、体も、ぽかぽかとしてきて、とても楽しそうなようすでいるのでした。
「にゃあ♪ にゃ~♪ にゃ♪」
魔女っ子サーシャは、そんなミーシャのようすを見ながら、これからどうしたらいいものかと、途方にくれていくばかりだったのでした。
第四章「いたずら猫ちゃん」
魔女っ子サーシャは、ドクロ沼の魔女の家をあとにすると、急いで自分の家に帰り、すぐさま影の本を開きました。そして、なくなった黒猫ミーシャの影を、元にもどす方法はなにかないかと、探しはじめました。
「ええと、影がなくなる・・・なくなった影・・・もどす方法は?」
けれど、サーシャがあせって読めば読むほど、本の内容はこんがらがるばかりです。サーシャは、頭の中がおかしくなってくるような気持ちになりました。
「自由な身となった影? それを使役することこそ、影の支配者となる? もーう、意味がわからないわ!」
サーシャのかたわらでは、そんなサーシャの困ったようすをながめながら、黒猫ミーシャが、ニタニタと笑っていました。魔女の秘薬のせいか、酔っぱらっているみたいに見えます。
「あのね、ミーシャ。わたしは、あなたのために、こうしてるのよ。でも、まぁ、いいのかしら? 影がなくたって、困ることはないし。あなただって、ぜんぜん、気になってないみたいだものね。」
「にゃ~あ♪」
けっきょく、その夜は、影を元にもどす方法のヒントも、なにも得られないまま、朝が近づいてきてしまいました。サーシャも、また居眠りをして、変な魔法がかかってしまってはいけないと、おとなしく、影の本を閉じて、眠ることにしたのでした。
さて、次の日の夕方。ベッドから起きあがったサーシャは、家の外に飾ったランプに、昨日と同じように、灯りをともしていきました。
サーシャは、ミーシャの影のことが気になって、朝も昼も、ろくに眠れていません。
ミーシャのほうはといえば、魔女の秘薬の効果が、まだ残っているものか、ランプの灯りの中、ご機嫌に、跳ねまわって遊んでいます。
サーシャは、ぼーっとした頭で、色とりどりのランプの灯りに照らされた、黒猫の真っ黒な姿を見つめつづけていました。そうしているうちに、不意に、昨日聞いたオオカミ男の話が、だんだんと思い出されてきました。
「・・・もしかして、ホップちゃんの言ってた、パレードにいたずらしてた猫って、ミーシャの影なんじゃないかしら? ・・・だとしたら、大変!」
サーシャは、ハッとしました。ミーシャの元からはなれた影が、おばけの森の中で、悪ふざけをしているかもしれない。そう思うと、サーシャは、いても立ってもいられなくなりました。
「あぁ、でも、どうしよう? 逆さ三日月の晩は、もうすぐだし、お菓子の準備だって、シチューの準備だってしなくちゃならないのに!」
サーシャは、大急ぎで、お菓子作りをはじめました。ときどき、影の本をめくっては、影をもどす方法も考えました。
大慌てのサーシャをしり目に、黒猫のミーシャは、のんびりとまるまって、にゃーっと、あくびをしています。
「どうしよう? どうしよう!?」
そんなこんなしているうちに、お菓子も、だいぶできあがってきて、サーシャは、急いで、出かける準備もはじめました。
「今日は、フェイフェイのお兄さんが、屋台の準備をしてくれてるわ。あいさつにいかなきゃ。それに、いまごろ、ゴーストタウンなら、森のみんなも集まってるはずよ。ミーシャの影のことで、なにか話が聞けるかもしれない。ほら! いくわよ、ミーシャ!!!」
「にゃあ!?」
魔女っ子サーシャは、慌ただしく、黒猫ミーシャとお菓子の入った袋を抱きかかえると、魔法のホウキに乗って、空へと飛びたっていきました。
空からながめた、おばけの森は、昨日にもまして、鮮やかな彩りになっていました。にぎやかな音楽や声も、そこらかしこから聞こえてきます。
けれど、いまのサーシャには、そんな雰囲気を楽しんでいる余裕は、少しもありませんでした。
サーシャは、吸血鬼のお城のふもとにある、ゴーストタウンへとむかって、まっすぐに飛んでいきました。
「ハイよー! こっち、こっち!」
「はやく! はやく!」
ゴーストタウンからは、影祭りの準備をすすめる、おばけたちの、元気な声が聞こえてきます。
街の中心の広場では、影祭りのための特設ステージが、着々と、作り進められていました。
そして、バグシュタイン研究所の天才ハエ博士と、その助手のハサミ男と怪力坊やが、忙しく動きまわって、舞台や街の家々を飾る、電化装飾の準備をしていました。
「こら、ゾッカ! 配線がもたついておるゾ! もっとちゃんとせんか!」
「ハイハイ! 博士! いま、やってるズラ!」
魔女っ子サーシャは、街の中心へとおり立つと、準備を進めるおばけたちにむかって、ぺこりと、お辞儀をしました。
「ごきげんよう。お仕事おつかれさまです。」
バグシュタイン博士も、ニッコリと、サーシャにあいさつしました。
「おお! サーシャお嬢! ごきげんよう。どうだね、お菓子作りは、はかどっておるかね?」
「ええ・・・まぁ、なんとか。」
ハサミ男のゾル・ゾッカと、怪力フランケン坊やも、サーシャのところへとやってきました。
「ヒヒヒ! 今年の電化装飾はスゴイズラ!」
「ウーガァ!」
すると、バグシュタイン博士は、胸を張って、ゴッホンと、咳ばらいをしました。
「そうじゃとも。我がバグシュタイン研究所、最高の技術を結集した電化装飾じゃ。楽しみにしておくがよいゾ! さぁ、お前たちは、さっさと、仕事にもどるんじゃ。発電機が、いつになっても、つけられやしない!」
「ハイハイ、おばけ使いの荒い博士だズラ・・・命令ばっかりで、自分じゃなぁんもしないくせに。」
「ゾッカ! なんか言ったか!」
「いいえ、博士! 天才バグシュタイン博士、万歳だズラ!」
魔女っ子サーシャは、博士たちと別れたあと、黒猫ミーシャとお菓子の袋を胸の前に抱きかかえたまま、街のようすを、ながめわたしてみました。活気にあふれ、みんな楽しそうに、影祭りの準備を進めています。
「とりあえず、ミーシャの影が、悪さをしてるようすはないわね。よかった。」
そのとき、サーシャは、吸血鬼イワンの家来のコウモリたちが、妙に慌ただしく飛び交っているのに、気がつきました。そして、その飛び交うコウモリたちを、目で追っていると、コウモリたちが、鎧に身を包んだおばけに、なにかを、しきりに報告をしているのを見つけました。
「わかった、了解。引き続き、警備にあたってくれ。」
それは、火の玉ボーイのアイザックでした。吸血鬼イワンの良き友で、おばけの森の警備隊長の役目をしている、頼りになるおばけです。
「ごきげんよう、アイザックさん。アイザックさんも、お仕事?」
サーシャが声をかけると、火の玉アイザックは、少し驚いたように、サーシャに顔をむけました。
「なんだ、お嬢ちゃんか。そうとも。俺は警備の仕事、真っ最中さ。なにしろ、影祭りの時期は、おばけたちがハメを外し過ぎて、いろいろ問題を起こすことが多いからな。」
「そっかぁ。アイザックさんも、大変ね。」
「なぁに。祭りが終わったら、ゆっくりさせてもらうさ。それより・・・どうも、今年の祭りには、困ったヤツが紛れこんでるらしくてな。」
「え?」
サーシャは、嫌な予感がしました。
「まだ、影が目撃されただけで、その正体はよくわかっちゃいないんだが、いたずら猫の被害報告が、あっちこっちからあってな。てっきり、お嬢ちゃんとこの、ミーシャが犯人なんじゃないかと疑っちまったが・・・お前さんが、そんなことするわけないもんな。」
アイザックはそう言うと、サーシャの胸に抱かれた黒猫の目を、やさしく、そっと見つめました。
「まぁ、いたずら猫が一匹紛れたとこで、どうってこともないが、一応警備は強めておかないと、ってわけさ。ところで、お嬢ちゃん。今年はフェイフェイといっしょに、特大シチュー作りをするんだって? みんな、楽しみにしてるぜ。」
「あ。うん。」
「ロンロンなら、もう、おおかた、屋台の準備は済ませてたみたいだな。」
「あ、うん。ありがとう。アイザックさんも、お仕事、がんばってね。」
サーシャは、しどろもどろに、火の玉ボーイに別れを告げると、足早に、その場からはなれました。
(どうしよう? どうしよう!?)
黒猫ミーシャの影が、悪ふざけをしているのは明らかでした。サーシャの頭の中は、真っ白になりました。どうしたらいいのかわからなくて、いまにも涙が、あふれ出てきそうです。
そんなふうに、わけもわからなくなりながら、サーシャがフラフラ
歩いていくと、いつのまにか、大きな鍋の前につきあたっていました。
こんな大きなお鍋、何に使うんだろうと、ぼんやりしていると、それが、自分がシチュー作りで使う鍋だということに気がついて、サーシャは、ハッとしました。
「・・・」
大鍋のとなりには、フェイフェイの兄である、キョンシーのロンロンが、無愛想につっ立っています。
「・・・あ、ごきげんよう、フェイフェイのお兄さん。屋台作り、ありがとう。」
ロンロンは、サーシャのあいさつに、一瞬、目配せしただけで、そのまま、だんまりです。
「あのぉ、作ってきたお菓子も、もってきたから、よかったら食べてください。」
「・・・」
「あの、フェイフェイのお兄さん。わたしに、なにかお手伝いできること、ありますか?」
「・・・必要ナイ。」
ロンロンはそれだけ言うと、奥の方に歩いていってしまいました。
(もう! 少しは、なにか言ったらどうなのよ!)
キョンシーのロンロンは、妹のおしゃべりなフェイフェイとは正反対で、ひどく無口で無愛想なおばけでした。森のおばけたちとも、ほとんど関わろうとしません。正直、サーシャも、ロンロンは苦手なところがありましたが、今日は、サーシャの気分が悪いこともあって、いつになく、腹が立ってきました。
すると、そんなとき、急にゴーストタウン全体が、パッと明るくなりました。バグシュタイン研究所の電化装飾に、灯りがともったのです。
「オオオオオ!」
ゴーストタウンにいたおばけたちから、歓声があがりました。
電化装飾は、ただ、綺麗なだけでなく、いろいろな工夫もされていました。順々に付いたり消えたりして、流れ星がいったりきたりするようなものもあれば、ゆるやかに灯りの強さが変化して、灯りが動いているように見える、不思議なものもありました。
「わぁ、すてき!」
サーシャも、いままでの困った気持ちなど、一瞬忘れて、電化装飾に見入りました。
街の中心では、バグシュタイン研究所の発電機が、轟々と、音を立てて動いています。
「ホッホゥ! どうじゃ! どうじゃゾイ! 最高じゃろ!」
「バグシュタイン研究所、万歳だズラー!」
「ウーガァー!」
バグシュタイン研究所の面々も、鼻高々に、胸を張っています。
ところがそのとき。電化装飾の灯りの一部分が、バチバチッと音を立てて、急に消えてしまったのに、おばけたちは気がつきました。
「なんだ? どうした?」
「ざわざわざわ?」
そのあとも、バチバチッと、音を立てては、電化装飾の灯りが、次々と消えていきます。
バグシュタイン博士たちも、大慌てです。
「おい、ゾッカ! どうなっておるんじゃ!」
「そんなこと言われたって、博士。配線はちゃんとつないだズラ!」
サーシャは、まさかと思って、あたりを、ぐるっと見まわしました。すると、電化装飾の灯りに混じって、なにか小さな黒い影が、走りまわっているのを見つけました。そして、その影が、電気のコードに噛みつくたびに、バチバチッと音を立てて、電化装飾が消えていくのです。
「ニャア!」
それは、黒猫ミーシャの影に、まちがいありませんでした。
「やめなさい!」
サーシャの止める声もとどかず、黒猫ミーシャの影は、発電機のところまで走っていきました。そして、黒猫の影は、発電機のその太いコードに、おもいっきり噛みついたのです。
「ニャアアアア!」
すると、あっという間に、ゴーストタウンを包んでいた電化装飾の灯りが、すべて消えてしまいました。発電機の轟々たる音だけが、意味もなく響きわたっていきます。
「な、な、なんてことじゃぁ・・・」
「博士! しっかりするズラァ! 博士!!!」
「ウーガァ!!!」
天才ハエ博士は泡を吹いて、その場に崩れ落ち、助手のハサミ男と怪力坊やが、博士のもとに走りよっていきました。
(大変! どうしよう!! どうしよう!!! どうしよう!?)
魔女っ子サーシャは、その場に立ちすくみ、しばらく、身動きひとつとることもできなくなってしまったのでした。
第五章「吸血鬼城にて」
魔女っ子サーシャは、ゴーストタウンでの影猫騒ぎのあと、急ぎ、吸血鬼のお城へとむかいました。
吸血鬼城の図書室になら、影をもどす方法の書かれた本が、あるかもしれないと思ったからです。
「・・・ごきげんよう。お邪魔します。」
城の中は、ひどく静まりかえっていました。影祭りだというのに、この場所だけは、ほとんど飾られることもなく、わずかばかりの灯りがともされているばかりでした。
「・・・誰も、いないのかな?」
数日前、サーシャが影の本を借りに、お城にきたときには、城に住むおばけたちも、影祭りを前にはしゃいでいて、城の中は、にぎやかなようすでした。けれど、いまは、みんな、影祭りのために外へ出払ってしまったあとのようで、ひっそりとしていました。
以前なら、影祭りのときには、吸血鬼のお城でも、盛大な飾りつけがなされていたものでした。けれど、影祭りのときには、森のおばけたちは、ひどい大騒ぎをします。そうしてついには、毎年毎年、城を汚されることにうんざりした吸血鬼の王子が、影祭り中は、王子の許可がない限り、城の中に立ち入ることを、禁止にしてしまったのでした。
「ごめんくださーい。わたし、図書室に用があるのだけど、いいかしら?」
返事は、どこからもありませんでした。サーシャは、黒猫のミーシャを抱きかかえたまま、城の中へと進んでいきました。
すると、ふいに突然。城に住む小さな双子の幽霊が、サーシャの目の前にあらわれて、サーシャのことを、じーっと、見つめてきました。
「・・・ごきげんよう。図書室を使いたいのだけど、いい?」
「・・・」
けれど、双子の幽霊は、サーシャに返事することもなく、ただ、じーっと見つめつづけてくるばかりです。
「あの・・・わたし、ちょっと急いでるんだけど、やっぱり中へ入るのはダメなのかしら? ねぇ?」
双子ちゃんは、何を聞いても、返事もなく、ただ、見つめてくるばかりです。サーシャは、どうしたものかと、頭を横にふりました。
すると、そのとき。奥の方から、吸血鬼の王子の声が、聞こえてきました。
「これ。ピーナ、パーナ。お客様を、そんなに見つめるものじゃない。失礼じゃないか。」
吸血鬼イワンに声をかけられて、双子の幽霊は、スッと姿を消しました。そして、イワンがサーシャの前に歩みよってくると、双子の幽霊は、イワンの肩の上に姿をあらわし、サーシャのことを、なおも、じーっと、見つめつづけてくるのでした。
「物言わぬ子たちでね。ふたりのことは、ずいぶんかわいがってるつもりだけど、実のところ、僕にも、このふたりが何を考えてるのか、いまいちわからないくらいだよ。まぁ、でも、そこがまた、愛おしくもあるところさ。」
イワンはそう言うと、双子の幽霊にむかって声をかけました。
「さあ、ふたりとも。こちらのお嬢さんは、僕の大事なお客様だぞ。お茶の用意くらいしてくれたって、いいんだけどね?」
すると、その言葉をどう受けとったものか、双子の幽霊は、スッと姿を消すと、そのまま、姿を見せることもなくなってしまいました。
「さてと、サーシャ。いったい、どうしたご用だろう? あいにく、家来のコウモリたちすら、ほとんど、外に出てしまったあとでね。たいしたおもてなしもできないが・・・どうにも、ゴーストタウンで、ひと騒動あったらしいんだ。厳戒態勢というわけさ。」
イワンの言葉に、サーシャは、おもわず顔をそむけました。
「ん? その顔は、サーシャ・・・ひょっとして、なにか知ってるね?」
「・・・うん・・・実は・・・」
魔女っ子サーシャは、おそるおそる、今まであったことを、吸血鬼イワンに話しました。
そして、いま、森でいたずら騒ぎを起こしているのは、おそらくは、黒猫ミーシャの影に、まちがいないことを伝えたのです。
「・・・なるほどね。それは大変なことになったわけだ。」
吸血鬼イワンは、黒猫ミーシャを抱きあげると、そのようすを、つぶさに観察しはじめました。
「確かに、影がない。驚いたものだな・・・それで、このことは、他のみんなには、もう話したのかい?」
「ううん。まだ、お姉ちゃんにだけよ。でも、お姉ちゃんも影には詳しくないんだって。自分でなんとかしなさいって。こないだ借りた影の本を、いくら読んでみても、答えはみつかりそうにないし、わたし、どうしていいか、わからなくて・・・」
「そうか、そうか。そうなのか。」
すると、吸血鬼の王子は、妙にうれしそうな素振りで、ミーシャをサーシャの手元に返すと、そのまま、サーシャの手をにぎりしめました。そして、図書室へとむかって、サーシャを導いていったのでした。
「こうして、僕のことを頼りにして来てくれたんだ。君の信頼に応えないとね。もちろん、この森の、王子の務めとしてさ!」
イワンは、図書室の扉をいきおいよく開けました。そして、図書室の本たちにむかって、大号令をかけました。
「さぁ、我が忠実なる、知識の下僕たちよ! こちらの乙女が、影のことについて知りたがっているぞ。影をよく知りたる者よ、我が前に、その姿をあらわせ!」
すると、本棚から本たちが、あれよあれよと飛び出してきて、吸血鬼の前にやってきました。そして、お前はちがう、そんな知識はお呼びでないとでも言うかのように、押し合いへし合いをしながらも、やがて、本たちは、整然と並んでいきました。
「うむ。よろしい。」
吸血鬼の王子は、並んだ本をひとつひとつ手にとっては、吟味していきました。そして、サーシャにむかって、少し真剣なようすで、話しかけてきました。
「影というやつは、なかなかに厄介な代物でね。実は、僕の知り合いの吸血鬼族にも、影をなくしてしまった者がいたのを思い出したよ。」
「え? 本当に?」
「ああ、本当さ。彼は、ひどく几帳面な吸血鬼だった。部屋の中はいつも片づいていたし、約束は必ずきっちり守る男だったし、なにより・・・男にも、親切だった。信じられるかい? 男にも親切な吸血鬼だなんて?」
「ふぅん・・・そうなの。」
「まぁ、そんなことはどうでもいい。ある日、彼の足元から、影が逃げだして、どこかへいってしまったんだ。彼も、はじめこそ慌てて、影を探していたが、いつしか、それも気にならなくなって、普通の暮らしにもどった。ところが、それから彼は、だんだん、おかしくなっていったんだ。」
「おかしく?」
「ああ。あれほど、きれいだった部屋の中は、ぐちゃぐちゃに荒れ放題。約束はすぐ破る。嘘はつく。乱暴にもなる。ついには人間界に飛び出して、人を襲うようにまでなってしまったのさ。」
「・・・それで、どうなったの?」
「最後は、人間に退治されて、灰になってしまったよ。」
「まぁ・・・」
サーシャは、イワンの話を聞いて、言葉も出なくなりました。この先、影をなくした黒猫ミーシャにも、どんなことが起こってしまうのかと、恐ろしくなりました。
「いま思えば、彼は、自分の気持ちを抑えこみすぎていたんだ。いいかい、サーシャ? 影は、もうひとりの自分なんだよ。」
「もうひとりの、自分?」
「そうだとも。自分の中の認めたくない部分、見たくない部分、嫌いな部分、あるいは、自分でも気づいていないような、よく知らない部分。影は、そういったものを、受けとめてくれている、大事な存在なんだ。でも、影の中にしまいこんだ、そうした気持ちにフタをして、抑えつけてばかりいると・・・我慢できなくなった影が逃げだして、自分自身も壊れていってしまうんだ。」
「影が逃げだす・・・」
「実は、影祭りの意味も、そこにこそある。普段、抑えこんでいるような、隠された自分の気持ちを解放することによって、影たちをよろこばせるのさ。これは、つまりは、自分自身との会話なんだ。自分の中の、よくわかっていないところを、理解するためのね。」
すると、吸血鬼の王子は、そこまで話したところで、一冊の本を、サーシャに手わたしました。
「一応、影に関する魔法について書かれた本は、これだ。影をもどすのに使える魔法も、どこかに書いてあるかもしれない。ただしこれは、かなり実践的な本で、君には、まだ難しいかもしれないな。」
イワンから手わたされた本を開いてみると、そこには、びっしりと、呪文やら、難しい記号やらが書かれていました。サーシャは、気が遠くなっていきました。
「なぁに。そんなに心配することもないさ。大丈夫。僕の方でも、影のことについては、いろいろ調べておくよ。少し恐ろしい話をしてしまったけど、影が逃げだすなんて、まぁ、たまにはある話さ。ミーシャの影だって、好き勝手やってるみたいじゃないか。そのうち、満足して、もどってくることだってあるかもしれない。」
「そうだといいけど・・・」
「まずは、この影祭りを楽しむことだよ。影の性質を考えたら、ミーシャ自身が、気のむくままにふるまって、ミーシャの影を楽しませることが、解決の糸口になるんじゃないかな?」
吸血鬼イワンは、そう言うと、サーシャのことを、そっと、やさしく抱きしめました。
「サーシャ。むしろ僕は、ミーシャのことより、君のことが心配だ。そんなに、思いつめてばかりいると、君の影まで、どこかにいってしまいそうだよ。」
「え、あ・・・うん。はい。」
吸血鬼の王子に見つめられて、サーシャは、おもわず、顔を下にむけました。
王子は、言葉を続けました。
「それから、ミーシャの影のことは、みんなには、秘密にしておいてあげよう。安心おし。このことは、ふたりで、なんとかしようじゃないか。そうだろ? 僕たちふたりになら、なんとかできるはずさ。」
「ふたりで?・・・ありがとう。」
そうして、魔女っ子サーシャは、吸血鬼の王子の腕の中からはなれると、王子に、ぺこりと頭を下げて、図書室から出ていったのでした。
そして、ひとり図書室にのこった吸血鬼の王子は、図書室の本たちを見わたすと、大きく深呼吸をしました。
「さてと。かっこつけたはいいが、大変なことになったぞ。僕だって、影のことなんて、詳しく知ってるわけでもない。これは、大仕事になるかもしれないぞ。」
すると、そのとき、カチャンと音がして、香ばしい匂いがしてくるのを、イワンは感じとりました。さきほどの双子の幽霊が、お茶の支度をして、もってきてくれたのです。
「きみたち! 本当にお茶をいれてきてくれたのかい! 気が利くじゃないか! さぁさ、愛しの、かわいい双子ちゃん。こっちへおいで。あいにく、お客様は帰ってしまったけど、三人で、お茶の時間にするとしようじゃないか。そうだ! 逆さ三日月の夜にふたりが着るお洋服だって、まだ決まっちゃいない。いろいろお着替えして、選ばないとねぇ。ムフフフフフ♪」